略歴(2001年10月以降)
イングランドのポーツマスFCへ移籍後は、
言葉の問題や、ポーツマスFCの会長から疎まれていたこともあり、
ポジションを奪えず、ベンチを暖める日々が続いてしまった。
そのため日韓W杯では代表メンバー23人に選ばれるも、
結局出場の機会を与えられなかった。
その後ジーコが日本代表監督に就任するが、
依然としてポーツマスFCで出場機会を得られなかった為、
日本代表でも控えに甘んじることになってしまった。
2003年、出場機会を求めてデンマークのFCノアシェランに移籍するも、
ポジションを確保するまでには至ることができず、
苦悩の日々が続いくこととなってしまった。
しかし、2004年、中国で開催されたアジアカップ゚2004では、
負傷した楢崎に代わり2連覇に大きく貢献した。
それでも、FCノアシェランでの立場が変わらず、
2005年にジュビロ磐田に移籍した。
そして、2006年に川口自身3度目となる、
W杯の代表メンバーに選ばれドイツW杯の正GKとして出場した。
ドイツW杯では、グループリーグ敗退に終わったものの、
FIFA発表の1次リーグ敗退国ベストイレブンでは、
控えGKに川口が選定された。
オシムジャパンに以降後は、
日本代表として、招集され続けており、
現在はチーム最年長としてキャプテンも務めている。
そして、
2007年6月5日のコロンビア戦では、
国際Aマッチ100試合出場も達成した。
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